口頭無形分化剤 その34


魂の「燃焼」


 今日のテーマは尚子さんにリクエスト頂きました。
 リクエスト企画の第9弾。
 「炎」です。


 「炎」−−英語で書くと「flame」、「flare」、あるいは 「blaze」。
 「fire」ではないんですね。これは「火」です。

 日本語と英語の違いなんて言うと大げさですが、ちょっと面白いと 思いましてね。

 日本人の感覚では、漢字の字面からして「火」より「炎」の方が 大きいような気がしますが、英語だとそうでもない。

 「flame」が「小さくちらちらと燃える炎」。
 「flare」が「つかの間の炎」。
 「blaze」が「激しく燃え上がる炎」です。
 「fire」は「flame」と「blaze」の中間に位置して、ま、「普 通の火」ってカンジになります。
 まぁ、もちろん「fire」には、他にも多くの意味がありますがね。
 ちなみに「煙草の火」は「light」を用いるようで、「fire」 も「flame」も使えないんだそうです。

 日本語にも、「炎」を表す、あるいは類似の言葉、漢字、熟語 は多いですね。

 「火」、「炎」、「焔」、「火炎」、「火焔」、「烈火」、 「業火」、「轟火」・・・。
 「埋もれ火」、「種火」、「弱火」に「強火」、「蛍火」なん てのもあります。

 でも、この「炎」と「火」ってのはどこが違うんでしょうかね?

 調べてみるとね。
 「炎」ってのは「火の先端部」のことなんだそうです。
 ビックリですね!
 感覚的に「炎>火」だと思っていたものが、実は「火>炎」なん です。
 「炎」ってのは「火」の一部に過ぎないんですね。
 ちょっと勉強になりました。



 さてさて。
 今回は何を書こうかけっこう悩んだんですがね。
 悩んでばかりいても、時間が経っていくだけだから、ここは素直に いきましょうかね。
 そっちにもってくかぁ〜と、言われそうですが・・・(苦笑

 「炎」で、僕が最初に連想したのは、実は「本能寺」でした。

 「本能寺の変」−−天正10(1582)年6月2日。
 日本の歴史を変えた、最大の事件と言っても言い過ぎではないで しょうね。
 言うまでもないですが、右大臣・織田三郎信長が、明智十兵衛 光秀によって京の本能寺にて弑逆された事件のことです。


−−−−−−−−−−−−−○−−−−−−−−−−−−−


 京は四条西洞院に黒々と横たわる森と見まごう法華教の大寺院は、 1万3千の軍兵によって水も漏らさず包囲されていた。
 篝に、松明に浮かび上がる、夥しい鎧兜の人影と、旗、旗、旗。

「まだか!? 信長の首はまだか!?」

 ヒステリックな声は、しかし男たちの喧騒にかき消された。
 土居のはるか向こうからは獣のような咆吼が断続的に発せられ、 そう遠くない場所で行われている凄まじい殺戮の光景が手に取る ようであった。

「旗印は、水色桔梗にござります!」

 前髪を残した青年が物見を終え、主の前に指をついた。

「光秀か・・・」

 単衣をだらしなく着崩した痩身の男は、それが癖なのか、不思議 そうに首を傾けた。

「・・・是非もなし」

 第六天魔王と自ら名乗ったこの男は、もうそのことに興味を失って しまったのか、さっぱりとした笑顔を浮かべると、やにわに立ち上が り、大股で高欄へと歩き出した。

「蘭丸! 弓持てぃ!」

 駆け続けることを宿命づけられたようなこの男は、その最後の瞬間 まで、己の生を惜しむかのごとく凄まじく駆け回った。
 矢継ぎ早に矢を放ち、弓の弦が切れると、今度は機敏に槍をとって、 群がり来る敵兵を次々とその槍玉に挙げた。
 もちろん、この男の行為は、ここにまで至ってしまった事態を、な んら好転させるものではなかったが、この男の肉体が、魂が、純粋 なる躍動を求めるのか、駆け続けることを命じるのか、男は実に凄ま じく奮戦した。

「火をかけよ!」

 ひとしきり働いて気が済んだのか、男は付き従う小姓にそう命じる と、自らは1人、奥の間へと入って行く。
 木造の家屋は、たちまち紅蓮の炎に包まれた。
 障子が襖が、やがて欄干が、梁が、床が、凄まじい熱を発しなが ら、辺りを血のような色に染める。

 主人にわずかな時間を与える為に、家臣たちが最後の奮戦を始め ていた。

 喧騒が遠くなった。
 その一室には、男の孤独を邪魔するものはなかった。
 男には、最後に自らがやらねばならぬ仕事が、もう一つだけ、 残っていたのである。

 自らを、殺すことであった。

 男は、他人の介錯をさえ許さなかった。
 実に見事に、たった1人でその最後の仕事をやり遂げた。
 やがて炎が、男のいる部屋を包み込む−−−

 魔王と呼ばれた男は、1片の骨さえ残さず、この世から消え失せ たのだった。


−−−−−−−−−−−−−○−−−−−−−−−−−−−


 と、まぁ、小説風に遊んでみましたが、炎の中で自刃した覇王の 印象が、「炎」という単語によって惹起されたわけですね。


 「炎」という単語は、実に多くの情念に直結する言葉ですね。
 たとえば「情熱」であったり、「青春」であったり、「恋心」であ ったり、「執念」であったり、「信仰」であったり、「嫉妬」であっ たり、「怒り」であったり・・・。
 「炎」が持っている、「燃える」、「燃焼する」、「熱を発する」、 「焼き尽くす」などの特性が、言葉にしにくい情念といったようなもの を表現する上で、非常につごうが良かったんでしょうね。
 僕たちの心の中には、確かに、何かが燃える場所がありそうです。

 バーニング・ハート−−−炎のように燃える心は、人間に様々な 化学変化をもたらします。
 ヒロイックになったり、ストイックになったり、無我夢中になった り、視野が狭まって周りが見えなくなってみたり・・・。
 良くも悪くも、こういう状況は、人間の精神状態としては、ちょっ と特殊ですね。
 宗教者の殉教、侍の切腹、芸術家の情熱、競技者の集中、兵士の 愛国心・・・。
 まぁ、そこまでいかなくても、恋愛感情であったり、意地であった り、僕らの日常生活でもごく普通に顔を出してくる、おなじみの感情 でもあったりするわけですが・・・。

 思うんですがね。
 「炎」は燃えます。燃やします。
 これは、「燃焼」という作用ですね。
 酸化剤(普通は酸素)を媒介とした連鎖的な酸化作用です。
 そしてそれは、激しい熱と光を伴う−−

 人の心の中でも、この「燃焼」が、ごく日常的に行われているん じゃないでしょうかね。
 何を酸化剤に使うのかは、その時と場合によるでしょうが、その 「燃焼」によって作り出される「熱」と「光」が、僕たちの心に多 くの影響を及ぼしている。

 例えば、心の中から「雑念」といったものを燃やしてしまえば−−
 人は、その激しく発する熱をエネルギーにして、何かに強烈に集 中するわけです。
 つまり、騒音をシャットアウトした状態になる。
 アスリートの集中など、まさにこれでしょう。
 恋は盲目−−恋愛感情にも、いえることかもしれませんが。


 僕はね。
 「燃焼」というモノには、ある種の憧れを持っています。

 何もかもをなげうって、そのコトに集中する。
 燃え尽きるほどの情熱を、何かに傾ける。
 これはね。
 男子一生の本懐であるような気がしているわけです。

 男という生き物は困ったモノで、常に世の中に、自分の存在を問う ているようなところがある。
 自分の力。
 自分の能力、才能。
 そういったものを、常に競争の中で見つめているようなところがあ る。
 社会によって、そう仕向けられて育てられてきた、とも言えますが。

 でも、それはね。
 あながち不幸なことでもないうような気がするんですよね。

 人間は、産まれてしまった以上、必ず1回は、死にます。
 遅いか早いか、長いか短いかは知りませんが、自分の人生に、 いつか必ず幕を引かなければならないということが、あらかじめ宿 命づけられているんですね。
 諸行無常。
 盛者必衰。
 理(ことわり)です。
 無くなってしまうことは、決まってるんです。

 ならば−−
 いや、だからこそ、その失われていくモノのどこに、価値を見い だしていくか−−

 男は「仕事」に、その多くを仮託するようですね。
 歴史がそれを、証明しています。
 魂を、青春を、情熱を−−
 燃焼させ、回転させ、爆発させて−−
 たくさんの男たちが、いくつもの爪痕を歴史に刻んでは、消えてい きました。
 そう、「炎」のように。


 僕は疑問なんですが・・・。
 女性も、やはり同じように感じ、考えているものなんでしょうかね?

 そして僕は思うんですが・・・。
 この魂に、真の燃焼を与えられる機会が、僕の人生で、果たして 訪れてくれるんでしょうかね?

 長生きしたいとは思いませんのでね。
 そうなってくれたら、ま、燃え尽きても良いですね。

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