口頭無形分化剤 その33


対立する2項の概念


 詩音さんから、大変面白いテーマのリクを頂きました。
 リクエスト企画の第8弾。
 今日は、「白黒」です。


 「白黒」

 みなさんは、この文字を見て、何を想像、あるいは連想されました かね?

 「白黒をつける」
 「黒白をはっきりさせる」
 「善と悪」
 「無罪と有罪」
 「光と闇」
 「○と×」

 ま、日本人が連想する範疇としては、このあたりでしょうか・・・。
 一応、「テレビ」、「葬式」、「オセロ」、「シマウマ」、「パ ンダ」なんてのもアリですが・・・・(笑


 これはね。
 非常に面白いテーマだと思うのですよ。

 誰の本を読んでいたときかは忘れましたが−−心理学系の本だっ たと記憶していますが−−人間には、人種、性別を越えた、「意識 の鋳型」のようなものがあるんじゃないだろうか、みたいな議論が ありましてね。

 たとえば「○」と「×」というシンボル。
 これは、ほとんどの国、ほとんどの人種で、共通の理解、似通 った印象を持たれるシンボルであるらしいのですね。

 「○」は肯定。
 「×」は否定。

 ごく一部の民族を除いて、この地球のあらゆる人間に共通して、 誰が教えたわけでもなく、誰が決めたわけでもないのに、みんな が何の疑問も持たず、このシンボルを自然に受け入れている。
 これは、人間の意識の生成の過程、あるいは脳処理の段階にお ける、人種、性別を越えた、共通項なのではないか。我々人類に は、「意識の鋳型」の様なモノが、少なくとも何種類かはあるの ではないだろうか、みたいな話です。

 なんであらためてそんな話をするのかと言うと・・・。
 「白黒」で象徴される「対立する2項の関係」というのは、人間にと って非常に尻の座りが良いモノであるような気がするのですね。
 さっきの話でいえば、「意識の鋳型」のなかの1つとして、なんか 先天的に持っているんじゃなかろうかと思えるくらい、こういう関係 は枚挙にいとまがないわけです。

 こういう「対立する2項の関係」は、世界中の思想史の中 のいたるところに顔を出してきます。

 たとえば宗教を例に取ると、

 インドのバラモン思想では、世界はブラフマン(宇宙の根本原理・ 大宇宙)とアートマン(精神的実体・個我・小宇宙)の相克により 記述されます。
 ゾロアスター教では、善神アフラ・マズダと悪神アハリマンの熾 烈な戦いが今この瞬間も行われています。
 キリスト教には、神(天使)と対立する概念として悪魔がおり、 天国に対する地獄があります。
 神道には天津神に対する国津神がおり、荒魂(あらみたま)に 対する和魂(にぎみたま)があり、仏教には極楽と地獄があり、 密教には胎蔵界と金剛界があり・・・・・。

 また、たとえば神話の世界を例に取ると、

 ギリシャ神話ではティタン神族とオリンポス神族が争います。
 ゲルマン神話で、世界の最初にあったのは、極寒世界「ニフル ヘイム」と極熱世界「ムスペルヘイム」だとされています。
 モンゴルの創造神話では、世界の最初にあったのは、水と火だけ だったようです。
 アフリカのドゴン族の神話では、創造神アンマが最初に創ったのは 太陽と月です。
 マヤの神話では、ツァコルとビトルという2人の創造主がいます。
 日本の神話では、日本列島を生んだのは、伊邪那岐(いざなぎ) と伊邪那美(いざなみ)という2柱の神です。

 てか、いくらでも挙げられますね。

 「資本主義と共産主義」、「右翼と左翼」、「障害者と健常者」、 「正常と異常」、「ノーマルとアブノーマル」、「優と劣」・・・。


 なにが言いたいのかというとね。
 ようするに、こういう「対立した2項」というのは、人間の思考に とって、大変解りやすいのだろうなぁ、ということなんですよ。

 「白と黒」といったって、これは観念の世界の話でね。
 現実の世界では、そんな綺麗に物事が割り切れるわけがないんです。
 ほとんど総てのことが、「白」と「黒」の中間の「グレーゾーン」 で生起して、変化して、継続し、あるいは完結している。
 ただそこに、濃淡があるだけなんですね。
 「純白」も「漆黒」も、この世に存在できはしないのです。

 でも人間は、何かというとカテゴリを創って、そこに分類をしたがる。
 その事象の近似値をとっては、デジタルな処理をしたがる。
 思考を、単純化できるからですね。
 理解したフリが、できるわけです。
 解ったような気になれる。

 これは、確かに便利な方法ではあるのですがね。
 けれど、そこからこぼれ落ちてしまうことも、また多いわけで・・・。


 すこし話が逸れますがね。

 エンヤと言うアーティストがおりまして。
 最新アルバム「メモリー・オブ・トゥリーズ」が300万枚以上売 れたという、本邦でもっとも人気のあるアイルランド人だと思うので すが・・・。
 彼女の作り出す音の「厚み」というものについて、先日テレ ビで特集が組まれているのを見ましてね。

 彼女の作り出す荘厳でファンタジックでミステリアス(?)な音の 秘密は、どうやら、100回以上も繰り返して行われる、音の重ね録 りのお陰らしいのですね。
 ある一つの音について、それをそのまま聞くのと、100個のスピ ーカーから同時に出したのを聞くのの違いといえば、解り良いです かね。
 音としてはまったく同一のモノであるのに、重ねるだけで明らかに 厚みが違って聞こえる。それはもう、まったく別のモノのような印象 を受けるほどです。

 同じモノでさえ、重なるだけでこれだけ変わってしまうということ なんですね。
 いわんや、別のモノをや。


 世の中のモノ、現実の世界のモノ−−人、出来事、事象、思想、 思考・・・こういったものは、厳密な意味で、なに1つ同じモノな んてありはしません。
 レプリカは、あるかもしれない。
 けれど、オリジナルは常に唯1つです。
 似ているからといって、その近似値のモデルで物事を割り切ろう とするのは、本質とかけ離れたことになる可能性が大いにある、と いうことですね。
 同様に、表面に現れてくる現象−−見た目、うわべに踊らされる と、なかなか物事の本質には辿り着けないということです。

 「喩え話」はどこまでいっても「喩え」−−「見立て」です。
 構造を理解する助けにはなっても、しょせんそれは、本質ではない。

 そうでなくとも、世界は今やボーダーレス。
 境界は、ますます曖昧になっていく傾向です。

 今を生きていかなければならない僕たちに必要なもの−−

 それは−−
 もしかしたら、「白黒」をつける「強引さ」ではなく、「灰色の 濃淡」を正確に見抜く「眼力」であるかもしれないと−−そんなこ とを、考えたりしてみました。

H.13 12/17



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