口頭無形分化剤 その20


「死」 −From Darkside−


 「泣きっ面に蜂」という諺があります。

 僕はこの諺がどのくらい昔からいわれているものか知りませんが、 不幸が、重なる性質があるモノであるという法則は、よほど昔から、人間に当ては まっていたようです。


 今日、妹のお腹にいた子供が亡くなりました。

 予定日まで、あとたった3日でした。
 彼女は初産で、子宮が小さかったこともあり、これまでも子供の 発育が上手く行かず、実は出産も危ぶまれていました。
 けれどここ最近は子供の成長も順調で、帝王切開なら、なんとか 無事に産まれるのではないかと、ウチの両親も期待を掛けていまし た。

 まったく突然の訃報でした。
 つい一昨日までは、妹のお腹の中で、子供は動いていたそうです。
 昨日、何故か子供に動きが無く、今日病院で検査を受けたところ、 すでに赤ちゃんの命の火は、消えていたとのことでした。

 妹は、さすがにショックを受けたらしいです。
 僕はその場に居合わせませんでしたが、10ヵ月ものあいだ大事に育てた 命が、不意に消えてしまったのです。彼女の落胆と悲しみは、僕の 想像を超えたモノがあるのでしょう。

 いまはただ、彼女の「つよさ」と、一回り年上の旦那の「優しさ」 に期待をするほかありません。
 僕は、彼女にかける言葉さえ、見つかりません。
 魔法使いなどと嘯いてみても、僕の言葉の力など、その程度のモノです。

 その訃報を僕は、仕事中に親からかかってきた電話で受けました。
 僕はそれから、普段と何一つ変わらぬ仏頂面で、いつもと同じよ うに淡々と仕事をこなし、働いた分の報酬を受け取り、帰路につきま した。
 こうして部屋に帰り着き、酒を飲み、煙草をふかせながら、いつも と何一つ変わらず、PCを触っています。

 妹は、そのまま入院したそうです。
 彼女が家にいなくて良かったと、内心僕はホッとしています。
 彼女と顔を合わせたところで、僕はどんな顔をしていいのかさえ わかりません。

 
 人間は、「死」に対してだけは、どこまでも無力です。


 僕は、人を1人、殺した経験があります。

 それは、僕のサイドから見れば、どうしようもなく不幸な偶然が 重なった末の悲しい事故ではあったのだけれど、被害者のご遺族 の方々から見れば、そんな言いわけは通用しない、凄惨な事件で あったでしょう。

 僕は大学2年の時から、すでに自分の中の「闇」の肥大化を始 めていました。
 そうしなければ、僕は大学生活を、笑って過ごすことができない と直感していたのです。
 そしてその事故は、大学4年の晩秋に起こりました。

 僕は、もちろん、相当の精神的ダメージを受けました。

 意識も理性も、自分でははっきりしているつもりでも、警察の方 から見れば、僕はよほどに混乱していたらしいです。

 明け方になって自分の部屋に帰り、そのまま一睡もせずに、警察 からの電話を待ちました。 その時点では、被害者の方の身元さえ、はっきりわかってはいな かったからです。

 僕が、その事実に気がついたのは、翌日の昼です。

 僕は、空腹感を覚え、平然とメシを作り、テレビのくだらない番 組を見ながら、平気でそれを食っていました。

 人を殺して、たった数時間後のことです!!


 その時になってはじめて、僕は自分が育ててきた「闇」の冥さに 愕然としました。
 僕は、そのときまでの2年間半、ずっと1人で、人の生と死の端境 を見つめ続けていたのです。
 いつしか僕の精神は、取り返しのつかないところまで、歪んでい たのかも知れません。

 僕はその時になってはじめて、自分の「歪み」を思い知らされました。


 僕は、妹の子供の訃報に接して、正直、さしたる感慨が持てませ んでした。
 妹は、辛いだろうな、旦那は、親は、辛いだろうな、と、思った だけでした。
 僕の精神は、もう、救いがたいほど歪んでいるのでしょう。

 僕が、そのとき持った感想は、一つだけです。


 不幸とは、重なるモノだな、ということです。

H.13 8/17


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