口頭無形分化剤 その12
「孤独」について
僕はたまにパチンコを打ちます。
べつにあの投資ゲームがたいして楽しいとは思いませんが。
騒音。雑音。そして喧騒−−
たくさんの人たちがいて、でかい音で音楽が掛かって。
デジタルを回す音と演出の効果音。
玉が受け皿に落ちる音とそれを集計機に流し込む音。
アッチでは誰かが毒づきながら台を叩いて、コッチでは大当たりの
アナウンスが響いて。
台の上では照明が瞬いて、煙草の紫煙が空気を汚して−−
僕が落ちつく場所は、どうやら部屋だけではないようです。
いや、むしろ部屋ではダメかも知れない。
PCがあり、本があり、好きな音楽があり、電話がある。
どうやらここは煩悩が多すぎる。
ゲームセンターでもそうなんですケドね。
例えば満員の電車の中でもいい。
ああいう場所で、僕は限りなく落ちつきます。
ああいう場所で不思議と、僕は孤独を感じます。
「孤独」は、マイナスイメージですか?
僕にとっては、必ずしもそうではないのだけれど。
この「孤独」とは何でしょう?
わからないことは辞書を引きましょう。
「孤独」−−
頼りになる人や心の通じ合う人がなく、ひとりぼっちであること。
さびしいこと。また、そのさま。 (三省堂「大辞林」)
ようするに、そういうこと。
「1人である」ということを実感することが、「孤独」であるの
でしょう。
当然です。あたりまえ。
けれど、その「1人であること」を実感する場所ってのは、必ずし
も1人きりになれる場所とは限らなくて、僕は、大勢の見知らぬ人た
ちの中に立つとき、より多くその実感を持つようです。
スクランブル交差点。
洪水のように流れていく大勢の他人たち。
その中央に1人、空を見上げて泣いている女性のイメージ。
こういうとき、僕は、自分が詩人でないことを実感します。
詩的な情景を単語に凝縮して、最小限の文字情報で大量の心的
イメージを読む者の心に惹起させるというその能力が、どうやら僕
には先天的に欠落している。
想いを伝えるために、たくさんの言の葉を無駄に費やしてしまいます。
ほら、また少し話が逸れた。
決して、人混みが好き、というわけじゃない。
けれど−−
例えば、放っておかれることの「気安さ」
誰かに頼りにされたりしないことの「気楽さ」
突き放されるような「自由」
しがらみや束縛からの「解放」
僕が「孤独」という単語に感じるイメージです。
今の僕には、けっこう魅惑的だったりする単語たち。
あぁ・・・なんで僕は、詩人ではないのでしょう。
別に、含むところはないんです。
僕も、「さみしい」のは、そんなに好きじゃない。
だから、心の底から「孤独」を欲しているわけじゃない。
ただこれも、バランスだと思うのです。
例えば、のしかかられるように「愛された」とすると、僕は、投げ
出したくなるか、潰れたくなるか、逃げ出したくなります。
いつもじゃ、ありませんよ。
「たまに」です。
なるときがある。
別に、心を癒やすためにパチンコ打ってたわけじゃありませんケドね。
今日負けたから、ちょっと自分にいいわけしてるだけです。
H.13 7/20
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