「人工知能」という言葉がある。
これは,学習,推論,判断といった人間の知能のもつ機能を備え
たコンピュータシステムに対して付けられた名称である。しかし,こ
の言葉は,「人工知能」の本来の意味ではない。「人工知能」と
は元来,機械に人間同様の知能を実現するという目標に対して付け
られた尊称である。そして,まさにこの「人工知能」を字義道理の
意味で実現することが可能であるかどうかという疑問は,認知科学
誕生以来の主要なトピックの一つであった。
しかし現在においても,この,計算機に「人間の知能」という高
度な機能を持たせることができるかという問題,そして,そのことが
可能であるとしたら,それはいかなる場合において可能であるのか
という問題に対して検討を加えることは,依然としてその重要性を失
っていないと私は信じている。そしてさらに付け加えるなら,計算
機に「心」を持たせることができるか,という私の興味も,まさに
ここにある。
前章における討究において,「心」というものがいかなるもので
あるかということについて,私が立脚する位置を示した。
この章では,「心」という ものを機械に持たせることが可能であ
るか,またそれはどういうことであるのかという問題について,私な
りに考察していく。そしてそれは私の「心」観を,計算機という
「心」をもたないものを使うことによってさらに明瞭に語るというこ
とになるであろう。