計算機は「心」を持ち得るか

--計算機における「心」の実現に関する一考察-- ver. 3.2


3.機械と心


3.1はじめに

 「心」というもの,あるいは我々が心的な機能であると位置づけ る諸機能を機械に実現することができるのか?
 この疑問を直接扱う前に,まず,人工知能の研究における重要な 前提として,次のことを指摘しておかなければならないように思う。 それは,人工知能研究の短い歴史において見られる,研究の指向 性における「曖昧さ」の指摘であり,あるいはトーランス(Steve T orrance)が「哲学とAIをめぐる若干の問題」[4]の中で行ってい る「優柔不断さ」に対する指摘である。
 それは人工知能研究がそもそも「人間の心」という,ある固有の もののあり方を扱おうとしているのか,それとも「心」というものそ のものの理解を目指しているのか,というもっとも根本的な方向性 が,いずれとも明示されていないという点である。
 これまで人工知能研究に携わる人々は,あるときは前者であると 主張し,あるときは後者を研究していると述べてきた。いま,我々 はこの二者を同様に扱うべきではない。機械に心的性質を持たせよ うとすることと,機械に「人間の心」を実現しようとすることは,方 向としては似ているようだが別のことである。

 私が採る立場を先に示しておこう。私は,機械に心的機能を付与 すること,あるいは「心」を機械に実現するということは,いくつ かの保留付きで可能 であると考える。
 そして,機械に「人間の心」を持たせることについては,理論的 には可能であるかも知れないが,現実的でないと思う。
 私の持論がどのようにして導かれるのか,それは以下において検 証していく。


インデックス へ

3.2心は創れるか へ


e-mail : nesty@mx12.freecom.ne.jp