計算機は「心」を持ち得るか

--計算機における「心」の実現に関する一考察-- ver. 3.2


2.人と心


2.4まとめとして

 我々は二元論に対する新たなアプローチを得,「我々」と「心」 と「身体」の間にある関係を知った。我々は文字通りの意味で 「心」であり「身体」である。

 私は,少なくともこの「心」と「身体」は非常に親密に関係しあ ったものであると考える。
 我々を我々たらしめているのはまさにこの両者であり,この二者 はどちらかが欠けることを許容しない。我々にとって「心」と「身体」 とは,そのような性質のものである。そして心身関係という形であえ てこの仮説を捉えるのなら,私は「真性一元論」という言葉を提案 したい。それは,単に「心」と「身体」が同一のものの異なる側面 であることを表すだけでなく, 我々が「我々の心」を持つためには まさに我々の「身体」が必要であるはずであり,また唯一そのとき のみであるという私の持論に由来する。

 それならば,「心」とはまさに生物の特性といえないのか。また 「心」はハードウェアから独立なソフトウェアとはいえないのか。こ のような議論に対する検討は,次章において詳細になされる。

 次章において私は,当初の私の関心である「機械に心を持たせる ということ」についての考察を行う。
この具体的な討究におい て,「心」がどのようなものであるのか,ということについてさらに 多くのことが明らかになっていくだろう。そして,私が「心」と「身 体」に対して抱いている不可分なイメージが,さらに鮮明に浮き立 つことになるだろう。
 「心」であるということがどのようなことであるのか,機械という 「心」を持たないものを通して我々は知るのである。


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3.機械と心 へ


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