私は,少なくともこの「心」と「身体」は非常に親密に関係しあ
ったものであると考える。
我々を我々たらしめているのはまさにこの両者であり,この二者
はどちらかが欠けることを許容しない。我々にとって「心」と「身体」
とは,そのような性質のものである。そして心身関係という形であえ
てこの仮説を捉えるのなら,私は「真性一元論」という言葉を提案
したい。それは,単に「心」と「身体」が同一のものの異なる側面
であることを表すだけでなく, 我々が「我々の心」を持つためには
まさに我々の「身体」が必要であるはずであり,また唯一そのとき
のみであるという私の持論に由来する。
それならば,「心」とはまさに生物の特性といえないのか。また 「心」はハードウェアから独立なソフトウェアとはいえないのか。こ のような議論に対する検討は,次章において詳細になされる。
次章において私は,当初の私の関心である「機械に心を持たせる
ということ」についての考察を行う。
この具体的な討究におい
て,「心」がどのようなものであるのか,ということについてさらに
多くのことが明らかになっていくだろう。そして,私が「心」と「身
体」に対して抱いている不可分なイメージが,さらに鮮明に浮き立
つことになるだろう。
「心」であるということがどのようなことであるのか,機械という
「心」を持たないものを通して我々は知るのである。