口頭無形分化剤 その2


誰かのために 生きていると

迷わず言えたら それでいいけれど

〜杉山清貴 『あの夜の向こうに』 詩:安藤芳彦〜

 劇場版『機動戦士ガンダムア〜めぐり逢い宇宙〜』が上映された のは、私の記憶が確かならば、もう10年近く前、私が小学生の頃 だったと思います。
 当時、私は他の小学生に漏れず、ガンダムの大変なファンで、親 父に頼み込んで、無理やり映画館に連れていってもらったように思い ます。
 あの頃はただモビルスーツがカッコ良くて、プラモデルなんかも買 って、夢中になってたものですが、あの映画の主題歌は(『めぐり 逢い宇宙』ってタイトルでしたっけ?)、妙に心に残っています。

人は哀しみ 重ねて大人になる
今 哀しみにふるえてる 愛しい人よ

恋しくて 募る想い
空 茜色に 染めてく

愛しい女よ もう一度
誰も一人では 生きられない

 英語の部分は忘れましたが、確かこんなカンジ。今見ても、いい詩ですよね。

僕にはまだ還れる処があるみたいだ…
こんな嬉しいことはない…

 コアファイターから流れるように飛び出したアムロが、最期に呟く 台詞。
 子供心にジ〜ンときました。
 その意味すら、良く理解できずに…。
 『一人で生きる』って、何でしょう?
 一体何のことを云うんでしょう?
 そして『環れる処』って?

 人は、たぶん一人では生きてゆけません。ちょっと考えただけで も、自分一人しか世界にいなければ、電気もガスも水道も供給され ませんし、食料も、衣類も住居も、誰も造ってはくれません。話し相 手がいなければ、精神的にもまいるでしょうし、仕事も義務もなけ れば、生活からはハリが失われてしまうでしょう。ガンダムのあの歌 詞は、そういうことを云ってるんだと思っていました。
 小学生のころは。
 でも、違いますよね、きっと。

 現在、私はこう思っています。
 『一人で生きる』とは、『誰からも必要とされず、また、誰も必 要とせずに生きること』だと。
 そして、だからこそ、『誰も一人では 生きられない』のだと。

 『人』ならば、『「生きていること」が素晴らしい』と考える人 たちがいて、『存在そのものに価値があるのだ』と考える宗教があ って、なるほどそういう人たちから見れば、確かに私は歪んでいる でしょう。
 しかし、『人』は−−−『人間』は、『他者』との関係において のみ、その存在を肯定されるべきものだと、私は思っています。

 山に籠って、自然に抱かれて暮らせば、おそらく限りなく『一人 で』、生きることはできるでしょう。しかし、誰からも必要とされず、 また誰も必要としない人がいたならば、その人は『生きている』と いえるでしょうか?
 確かに生命活動はしています。
 しかし−−−?

 誰からも必要とされず、また誰も必要としない人とは、『その人』 以外の誰かにとって、『いてもいなくてもいい人』ということになり ますよね?
 ならば、『いる』必要性はないでしょう。
 つまり『いなく』ても良いのです。それで、『人』が『生きてい る』といえますか?

 何もかも失ったと思ったアムロは、母の胸に抱かれるように、ラ ラァの元へと飛翔します。母胎回帰ともいえるその至福のなかで、 しかし、彼は最期にこう云います。
 涙と、そして笑顔で。

僕にはまだ還れる処があるみたいだ…

こんな嬉しいことはない…

 必要としてくれる人がいるということは、素晴らしいことですよね。
だからこそ、『人』はたぶん、『人』で『生きて』いられるのだか ら。
 貴方には、『環れる処』がありますか?

 そして−−−

H.7.1.30



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